遠く吹雪く雪よりも

猶冷たく、猶厳しい声が問いかける


「父殺し弟殺し、この上民まで戦火にくべ…お前は人を殺す為に生まれてきたか?」


答は吹雪にかき消され…








  








まだ暑気が残るものの空は高く、心地よい秋風が田畑を渡る。

揺れる葉の下からは童女の声が


「小十郎、もうこの芋は掘ってもいいだか?」

「ああ、そっちは頼む。今年は豊作だな、どれも良い出来だ」


言い、小十郎は嬉しそうに鍬を振るう。掘り返されて顕わになった土の下からは、 大粒の芋が覗き、彼の喜びが窺えた。

小十郎から一方を任されたいつきは、素手で器用に土を掘ると、「んしょ」と 蔓をつかんで一気に掘り出す。鈴生りに芋が飛び出した。

収穫の季節の到来である。


「それにしても、政宗は朝からどこに行ったんだ?」

「資福寺だ。西を巡礼されていた住職の虎哉禅師が戻られたから、そのご挨拶に 行かれたのだろう」

「政宗の方から?」


相手が挙げた寺も住職の名前もいつきにはとんと理解出来なかったが、政宗が出かけた と言う事実に首を傾げた。


貴人は自分から出向くことはなく、相手がこちらに訪ねてくるもの。


城で暮らすようになってから、いつきは武家の作法を自然と覚えた。

型破りの『伊達者』とは言え、政の席では国主としてのある程度の姿勢は崩さない 政宗を知っていての疑問である。

童女の疑問も当然と、小十郎は頷き


「確かに、仏の前では武士も僧侶も等しいが…殊にこの場合はこちらが出向くのが筋 だからだ」

「筋って?」

「禅師は政宗様の師父に当たられる。俺も童の頃に教えを受けた」

「師父…そっか、先生の所に行ったんだべか」


政宗の師。


常に己の器と信念に揺るぎない自信を持って戦場に立つ蒼竜を、教え導く者が居ることに 不思議を感じた。

政宗とて人の子であり、未熟な頃があったのだと分かっていながら…


「どんな人なんだべなぁ」


掘り起こした芋を拾いながら、いつきは高い空に呟く。

秋空に蜻蛉が遠く飛んでいた。








「京の方も回ってきたが、毛利が織田との戦に本腰を入れたようだな」


開け放たれた方丈にも、秋の風が流れる。

この季節特有の、不思議な煌めきを帯びた日の光が長く差し込む。

光に包まれた方丈には二人。

一人は不貞不貞しい笑みを湛えた禅僧。もう一人は隻眼の青年。

禅僧が言葉を続ける。


「今までは毛利が本願寺を矢面に立たせていたが、長丁場にお互い飽きたんだろう。
近々直接やりあうな…っと」


そこで軽く笑声。


「こんな情報、奴さんから聞いてるお前には無用だったな梵天丸?」

「…アンタこそ、毛利との同盟知ってて話してたろ、師匠」

相変わらず人を食ったcharacterだ。


負けじと隻眼の青年もHa!と笑い飛ばす。が、


「ああ、お前のその臍曲がりも外つ国の言葉も、拙僧直伝だからな。understand?」


不貞不貞しさは微塵も揺るがず、虎哉宗乙は軽く政宗をあしらった。

政宗が六歳で弟子入りしてから、変わらぬ師弟の遣り取りである。


「しかし、最後に戦場で会って以来、変わらず暴れ回ってるようだな」


徐に虎哉は掌を政宗の眼前に突き出し指を折る。


「同盟は毛利だけじゃないだろう?毛利と連動している本願寺に四国の長曾我部、
織田の喉元三河の徳川。この分じゃ京の人間あたりも抱き込んでるかもな」


右手が潰れると次は左へ


「対して敵は近場の上杉、武田、北条、本命の織田と…まあ見事な遠交近攻だ。 天下規模の計略だな」

「竜が天が下を臨むのは当然だ」

「それだけの民を巻き込むがな」

「………」


戯れのように立てられた爪。政宗の表情は変わらず。

虎哉は悪びれもせず、ニヤニヤと僧らしからぬ笑みを湛えたまま、折らずに残った左手の 小指を差し出し


「政が八面六臂なら、こっちの方も随分豪勢じゃないか。一揆衆から若紫を拾った そうだな」

「…っ!そんな巫山戯たネタ、猫から聞いたな?」


先程までの緊迫した空気は彼方へ。師の不意打ちに、政宗は苦々しげに情報源を 予想する。

一揆鎮圧の際に保護したいつきを、自分好みの女/紫の上に育てるのかと揶揄したのは、 影武者兼側女の猫御前である。


「『あんなに愛い姫なら四年後に取られても惜しくない』と笑っていたぞ」

「だから、いつきはそんなんじゃ…」

「ほう、『斎』か。それはまた禁欲的な名でそそられるな」

「師匠っ!この生臭坊主…!」


完全に場の主導権を握られ、政宗は二の句も告げられない。

口で勝てないのもまた、梵天丸の昔から変わらない。


「さっさと本題に入れっ、俺をここに呼んだのは、下らない世間話をするため じゃないだろ?」


一頻り弟子をからかうと、虎哉はスッと表情を入れ替える。

掴み所のない破戒僧から、乱世を見つめる哲人へ


「そうさな…昔のようにお前で遊ぶだけでも良かったが」

「おい…」

「あの時は冬だったが、丁度いい。この季節にお前が生まれたのだからな」


表情と共に空気も変わる。


「お前は忘れているかもしれないが、最後に会った戦場で拙僧はお前に問いを出した。
お前はその時答えられなかったからhomeworkにしておいた。…その答を今聞きたい」


冷たく立ち上るのは


「『お前は人を殺すために生まれてきたのか?』」


紛れもない殺気。

胸に耳に肌に、遠い吹雪が甦る。



まだ自分が今よりも幼く未熟であった頃、己の傲慢故に父を死なせた憤怒に駆られ、 多くの兵/民を戦場で斬った。

ただひたすらに弔いを、と燃え上がる政宗を止めたのは、雪を押して陣に駆け込んだ 師の糾弾であった。


雪よりも猶冷たく、猶厳しい声で


「父殺しの上に民を戦火にくべ…お前は人を殺すために生まれてきたのか?」



「―――………」

答は、言うべき言葉は吹雪にかき消され、師に伝わらぬまま師弟は別れた。

その続きが、この場である。


「お前が奥州だけに埋もれていく器なら、拙僧も再び訊くこともなかったが… お前が天下を臨む竜たらんとするならば、捨て置けない。この国の多くの人間 の命がかかっている」

「ハナから殺る気で来てたんだな」

「ああ、『あの後』懲りずに弟まで殺したお前ではな。
修羅に育ててしまったのなら、拙僧が責任持って地獄に叩き 返さなければ仏に合わす顔がない」

「破戒僧が良く言う」

「全くだ。だからこそお前を止められるのだがな」


目に光を湛えたまま、唇は笑みを刻む。政宗も同じように。

共に凶暴な微笑であった。


「それでも、お前の本性を確かめてからだ」


殺気が膨らむ。

虎哉は丸腰で政宗は小太刀を帯びているが、利点など一つもない。

この師が殺すと言うのなら、殺せるのだろう。

小太刀の束に伸びた手を止める。そして無防備に脇に垂らす。

弟子として、奥州筆頭の矜持として。


「今一度問う、『お前は人を殺すために生まれてきたのか』」

「俺は…」


不意に、


ごろんごろん


「わっ!!」


何かが落下し転がる音と、童女の声が乱入した。


『―――………!!』


突然の声に師弟は張りつめた空気を破られ、同時に方丈の入り口を見る。


「いつき…!?」


政宗は隻眼を見開く。光に満たされた入り口で、城にいるはずのいつきがあたふたと 何かを拾い集めていた。


「お前、どうしてここに…?」

「ごめん、政宗。小十郎からお前さの先生が来てるって聞いて、 オラどうしても会ってみたいと思っただ。
そんで、折角だから芋も持ってこうって、 でも走って来たから芋が落ちちゃって、あ、あ、 喜多が晩ご飯に芋を煮てくれるって…」

「…取り敢えず落ち着け」

そして芋は俺も拾うから


混乱したいつきの言葉に、僅かに政宗は安堵する。背後の師の気配からも、鋭さが 収められた。


「ほう…この童女が。確かに愛い娘だな」


興味深げに目を細めているのであろう。

さて、この場をどうしたものかと政宗は考える。

いつきがいるこの状況では、仕切直しても意味がない。

出直すかと、背後の好奇の視線を気にしながら芋を拾うと、煌めく秋の光に 童女の小さな手が浮かび上がる。

ここに来る前に、小十郎の畑を手伝っていたのだろう。

爪は土が入って黒く、掌も所々泥がこびり付いている。

小さな手は年齢に反して皮が厚く固く、所々に鍬や鎌の跡が出来ていた。

その中で最も大きい、槌の跡―――

しかしそれは、初めて会った時よりも僅かに薄くなっていた。それを除けば


どこにでもいる、農民の娘の手であった。

戦場を駆けることのない、平凡な…


「―――………」

「政宗?」


己の手をじっと見つめる政宗の顔を、いつきは覗き込む。

と、突然


「師匠」


グイっ


「わっ…!」


政宗はいつきの手首を掴み、方丈の奥に引き返す。

二人を観察していた虎哉の前に立ち


「長い間待って貰った問いの答…それがこれだ」


言い、童女の手を泥の手を、師に示した。


「こいつは一揆衆を率いて馬鹿でかい槌を振るっていた。それがその時の跡だ。
俺はこれを消すために、もう二度とこいつが槌を振るわずに済むために戦う。
そのための『生』だ」

「ほう…」

「ついでに言っておくが、いつきは若紫なんて優雅で下世話なモンじゃない。こいつは 俺の…」


深い、深い


「女神だ」


想いを込めて








「なあ、政宗。さっきの『女神』とかって…」

「An?言葉の通りだ。お前は俺にとって…」

「わ!わ!もう言わなくていいべ!!」

真顔で言われると恥ずかしいでねぇべか

「そうか…?」


不思議そうに政宗は首を傾げる。

夕日に染まる寺からの帰り道。

あの後、政宗の答に、虎哉は間髪入れずに大笑した。

それまでのわだかまりを全て吹き飛ばすような。

そして「悪くない答だ」と、短く告げた。

それが全てだった。


「それよりいつき」

「何だべ?」

「お前、今はあの槌使ってねぇよな?」

「うん…こっちに来てからは戦うこともねぇし、政宗が『持つな』って言ってるから 一度も」

「そうか、ならいい。…必ず、お前達が安心して暮らせる世の中にするから、あれは もう使わないでくれ。お前の手は土を耕す手で、人を生かす手だ…殺す手じゃない」

俺なんかとは違う。

「政宗…」


いつきは無意識に政宗の手を握る。

大きな手。

温かい手。

血にまみれようと堕ちようと


「だから必要な時は俺を呼べ、頼れ。お前の小さな声も手も、届く傍に俺はいる」


それを愛おしいと思った。


「うん、分かってる。…だども、だどもな、政宗。オラはオラが必要だって思った時は、 何て言われても戦うだよ」

オラも政宗と同じだから

「守りたいって思うから…オラにとって政宗は」


一瞬、言葉が躊躇う。

真っ直ぐに伝えられない幼い心。

それでも

「神」などと、遠いものではないけれど


「誰よりも大切だから」


想いを―――


「―――………ああ」


静かな声。


「お互い様なんだな…心配することも、思うことも」


繋がる心。


「こりゃ、早いとこ天下取らねぇと」

お互い安心出来ない。


言い、政宗は握ったいつきの手を離し、恭しく持ち直すと、泥の甲に口付けた。

己の生きる意味に。


天高く飛ぶ蜻蛉よりも、沈む夕日よりも猶紅く、いつきは頬を染めた。












後書き

1000hitフリー小説アンケート1位より伊達いつです。伊達いつだと言い張ります;;
政宗にとっていつきの手は、武将として民を守れているかと、個人として大切な人を 守れているかの両方のバロメーターになっていれば良いと言う妄想からです。 自分のように血に汚れた手よりも、土にまみれた手を見る度に安堵を覚えてい たら猶良いかと(にこ)。虎哉師匠と政宗の過去は山岡荘八氏の『伊達政宗』が元ネタで。 趣味に走りすぎました;;

ここまで読んで頂き有り難う御座いました。



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