薫り高い紫檀の表を白く細い指がすべる

絹糸の弦を辿り、銀に象牙をこしらえた半月を一二度なぞる

爪を弾けば弦は震え、妙なる音が響く




「見事な琵琶だね。作りも音も申し分ない」


海老尾から磯まで矯めつ眇めつ見た後、吐息と共に佐助は告げた。

傍らで杯を傾けていた元親は、満足そうに破顔して


「だろ?今回のお宝/戦利品の中じゃ一等だ」


己の玩具を自慢するように、その声は軽く弾んでいた。

鬼の名とは裏腹に、時折見せる童のような無邪気さに佐助はつられて顔を綻ばせる。

そして、何気なく琵琶を横たえると、撥を取って適当につま弾き出した。


「お、弾けるんか?」

「少しはね」

辻立つ法師は変化の一つだから

「なら何か聞かせてくれよ。折角のお宝だ、弾いてこそ価値があるってもんだ」

「にわか法師の語りで構わないならね。で、何かご希望は、主様?」


シャンッ


一撫で鳴らして佐助は戯れる。


「って言われてもよ、俺はそう言ったもの、良く知らねぇんだ」


小首を傾げて元親は唸る。

武辺話は常に好むが、古の戦語りは少々疎い。

せいぜいこの地/四国で戦があったと知るばかり


「有名所で『桜』か『上日』でも適当に弾こうか?」

「そうだなぁ…あぁ、アレは」

「『アレ』って?」


ふと浮かんだのは


「『祇園精舎の…』って言う奴、それなら俺も知ってるぜ」


この世の無常を説く、有名な始まりの詞/ことば

ただ純粋に、それだけしか元親は知らなかったから口にしたのだ


「なあ、それにしてくれないか?さくらとかじょうじつったって、俺にはさっぱり 分からねぇからよ」

だったら少しでも知ってる奴のがいい

「………」


一拍、佐助は間をおいた。何かを考えるような、探るような

しかし次には、不思議なほど軽い声で


「うん、いいよ」


肯うた。

そして、琵琶を構え直し、転手を絞って弦の張りを調節する。

元親はその様を静かに見つめていた。

何度か音を合わせると、一度背筋を伸ばし


ベベンッ


長い指で撥を繰り、緩やかに語り始めた。




  祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響き有り

  沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理を顕す




抑揚を聞かせた語りは歌うようで

高く低く朗々とした声は耳に心地よい

波のような旋律に、杯を片手に聞いていた元親は、次第次第に微睡み行く




  奢れる者久しからず  唯春の夜の夢の如し

  猛き人も終には亡びぬ  偏に風の前の塵に同じ




この世の栄誉も哀しみも、全てはいずれ流れ去る

そんな情無き詞のはずなのに

緩やかに静かに、佐助が紡ぐと


天下も国も争いも

全て忘れて今は眠れと、包む子守歌のようで


その調べに安心して、元親は意識を手放した

どこか遠くで琵琶が鳴く














数日後、元親はいつものように訪ねて行った郡山城で

いつもの如く仏頂面の元就と、いつの間にか居着いている慶次に宝の自慢も兼ね てそのことを語った。

すると、傾奇者は腹を抱えて大笑いし、知将は呆れ果てたと溜息を吐いた。


「さっすが鬼ヶ島の鬼っ!随分贅沢な話じゃないか」

「つくづく虚けと知ってはいたが、まさかここまでとは…」


さんざんな二人の反応に、元親は


「んだよっ、別に変なこと言ってねぇぞ」

と、むくれれば、悪い悪いと慶次が謝る。そして、諸芸能に通じた傾奇者は 訳を語る。

曰く、


「『祇園精舎』は琵琶法師の中でも秘曲とされていてね、達人じゃないと習うことも 出来ない代物なんだ」


「達人って、アイツはにわか法師とか言ってたけどな」

「忍は敵の内情、秘事を探る者。そなたのような虚け大名の伽をするにも教養は必要だ」

その辺の白拍子や傀儡より、よほど上等な遊かれ女よ


淡々と答える元就の後を慶次は続けて


「それと元親、佐助は『それ』弾いたの何回目とか言ってなかったかい?」

「そう言や、そんなこと言ってたな」


記憶を辿り、その状況を思い出す


「確か、幸村が餓鬼の頃に一回、アイツの兄貴に一回だから…俺で三回目だな」


あまり弾いたことがない曲だから、難しいとも言っていた。


「ああ、やっぱりそうか」


ニヤニヤと慶次は楽しそうに告げる。


「なんだよ」

「元親、アンタって本当贅沢な鬼だよ」

「?」

「『祇園精舎』はね、滅多に聞けない秘曲なんだ」

「それはさっき聞いた」

「具体的には、一人の法師が一生に三度しか弾いちゃいけないことになってる」

「三度って…」


佐助は元親で三回目だと言っていた。

つまり


「アンタで最後だったって訳だ」


それはとても重要な意味で


「あの烏も酔狂な事だ。主とその兄なら秘曲を献じるにふさわしい相手だが…」

「主家の人間でもないアンタに、しかもとっときの三番目を弾いたって事はさ

それだけ佐助にとって長曾我部元親は、『大切』なんだ」


想い、だった。


「めったに聞けない秘曲を、しかも恋しい相手が歌うのを、子守歌に寝るなんて本っ当 贅沢な話さ」

「全く、これだから物の価値が分からぬ賊は…」

「―――……」


元親に返す言葉はなかった。二人の言葉は確かにそうで

何より、思い当たる節があったから



あの時、佐助は一瞬間をおいた。

あの忍なりに事の意味を、重要さを考えて

だがすぐに、軽く、どこまでも軽く肯うた。


それが佐助の、元親への想いであった

秘事など考慮に入らない、と


その答に至ると、元親の胸に熱がさす。

日頃、己からは伝えようとしない

用心深い忍が見せた想いの深さ


単純だと思いながら、それにどうしようもない喜びを感じた。


「ようやく納得したみたいだな、この色男」


他人の恋愛を楽しむ酔狂な傾奇者の茶々が入るが、構わず元親は不敵に笑みを刻む。


「ああ、だから予定変更だ」

「お」


と慶次が言う間に、彼の手にあった琵琶も撥も取り返して立ち上がる。


「お前らに弾かせるのが惜しくなった。邪魔したな、二人とも」


相手の返事も待たず、元親は風の速さで城主の部屋を後にした。

その速さに、しばし残された二人は呆然と鬼の出て行った入り口を見ていたが


「単純な奴め」

「あ、やっぱり元就もアイツが何処行くか分かった?」

「無論、分かりすぎる…」


一言一句違わずに


『甲斐』


鬼の行き先を口にすると、傾奇者はまた大笑いし、知将はまた大きく溜息を吐いた。



どうやらあの琵琶、とんでもない至宝であったらしい、と。



口に謡うて 声にて聴かせ
     心動かす 歌が歌














後書き

やっちゃいました琵琶法師ネタ。多分今まで一番趣味に走った代物です。
以前からあった佐助に平曲(平家物語を琵琶で語る際の曲)を歌わせたいと言う願望に、 今回の資料にあった『祇園精舎』の三回制限がプラスされて妄想が醸造されました。解説 ばかりな文になってしまいましたが、弾き語りシーンが書けたので悔いはないです(握り拳)。
当初は解説と突っ込みに政宗を考えていましたが、一人二役は流石に重荷だったので (幸村じゃ突っ込めないので 苦笑)、典礼儀式や諸芸能に詳しい傾奇者と容赦ない 突っ込みの知将の二人に変えました。まあ、それは建前で大半は慶就が書きたかったからです(きっぱり)
今回平家琵琶や平曲に関する資料は、江戸時代の検校がベースになっていますが、 そこは二次と言うわけで誤魔化し誤魔化し…

ここまで読んで頂き、有り難う御座いました。





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