「全く、どうやったら縁の下で溺れかけるんです?」

秋も深まると、野分が来るのは今も昔も変わらず。
六郎はずぶ濡れの甚八の頭を拭いて、嘆息した。
外は耳を聾する大風と、息も出来ぬ土砂降りの嵐である。

「ごめんなさい…。俺眠ってた。丁度良い暗さと狭さだったから、ここの下」

手拭いで頭を拭かれながら甚八は項垂れる。
大雨で、縁の下に水が流れ込み、逃げ遅れた彼は呑まれた
六郎が甚八の呻き声に気付かなければ、危うく陸地で溺死する所であった。
常に暗く狭い場所を好む彼らしい騒動である。

「何故私の庵に?主殿の屋敷が気に入ってるのでは…」
「今日縁の下を直してる、小六が。ケンカして畳ごと穴を開けたから、小助と三好の 兄弟が。
だから、よそに行ってろって」
「それでここの下に入ってたんですね」
「ごめんなさい、海野先生。勝手に入って」
「別にいいですよ。寧ろ、他の方のお宅だったら、雨が降っても気付かれずに溺れてましたよ 甚八君」
「困る…それは」


先程の恐怖が甦ったのか、長い腕で身体を包み、ぶるりと甚八は震えた。

その仕草はどこか子供のようで
長身の外見との不釣り合いに、思わず六郎は笑みを零す。

ふと、部屋の内が薄闇に包まれていることに気付き、庭を見やる。
何時しか日も暮れ、早い夕闇が辺りを塗り替えていた。

「随分暗くなりましたね。灯りを付けないと…」

言い、灯明に手を伸ばしかけると

「点けないでっ、灯り」
「甚八君?」

思わぬ強さで甚八に腕を掴まれた。
そこから伝わる必死さは尋常でなく
痛みに六郎は顔を歪めると、それに気付いた甚八は慌てて手を離す。

「ご、ごめんなさい…」

今日何度目かの謝罪を口にした。

「いいえ、私は大丈夫ですよ。それより、何故灯りを点けると駄目なのです?」
「…痛くて眩しいから、目」
「眩しい?」

言葉の意味を取りかねて首を傾げる。
灯台一つの灯りが、である。

相手の疑問も当然と、こくりと甚八は一つ頷き

「光が少なくてもものが見える、俺の目。逆に多すぎると、眩しくて潰れる」

その言葉に、六郎は納得した。

金堀衆の生まれの甚八は、幼い頃より山に潜り、地を穿つ事を生業としてきた。
そのため、黄泉路と言える暗闇と、胎臓にも似た小穴が彼の世界の全てで
日の光を知らずに生きて来たのだ。
闇を見通す目は、日光に耐え得る術が無く
白日に晒されるだけで灼け落ちるほどに脆い。
無論、小さな灯りでも痛みを伴うであろう。

日頃真田屋敷の梁や縁の下に潜り込み、主に夜間動き回っているのは
甚八の嗜好や体質以上に、切迫した理由からであった。

「それは…知らなかったとは言え、危険な目に遭わせる所でしたね。すみません」
「悪くない、先生は。おかしいだけ、俺の目が」

ふるふると、必死に頭を振る。それに合わせて揺れる前髪が長い事も、それが恐らく 目を守るためのものだと言う事も、六郎は今気が付いた。

「しかし、明るい所に出られないのでは不便じゃないですか?」
「別段俺は…。昔からこうだし、もう慣れた」
「でも、主殿の命令で、どうしても昼間動かなければならない場合はどうするのです?」
「…今までなかったから、それは」
考えたことがない

気まずそうな、口ごもった答。
事情を知る幸村もまた、部下の目を気遣って昼間の間諜は命じていなかった。
その状況に甚八は甘えていたのだ。

怠惰を責められると、身を固くしたが、六郎の声は変わらず柔らかで

「それでも、これからも無いとは限りませんから、何か方法を考えないといけませんね」
「方法…」
「ええ、どんなに甚八君が気を付けても、万が一と言うこともあります。それでは 貴方の目が危険過ぎます。それに…」
「何?」
「私は、明るい所で、甚八君の顔を見てお話したいですから」
「え…」

何気なく告げられた言葉。
他意はないと分かっていながら、それでも甚八は自分の顔に熱が集まるのを感じた。
悟られぬように慌ててうつむき

「じゃ、じゃあどうしたら良い?」

幸い六郎は気付かなかったらしく、考えるように視線を巡らす。

「そうですね…目を瞑ると言うのはどうですか?」
そうすれば、光が入りませんよ
「無理、それ。瞑ってると眠くなる、目を」
「………先程縁の下にいらっしゃった時も、目を瞑ってらしたんですか?」
「ううん。居心地が良くて眠くなる、暗い所は」

―――どちらにしろ眠くなるのには変わりないんですね

と言う本音は、この際言わずにおいた。

「では、それ以外で光を見ずに済む方法は…」

何か覆うもの、と思考を巡らせると

「ああ、これが良いですね」

シュルリ、衣擦れが聞こえると、六郎の束ねた髪が畳に落ちる。
そして掌に差し出されたのは、青藍の布一枚。

「これで目隠ししたらどうでしょう?」
「目隠し…」
「失礼しますね」

言いながら六郎は後ろに回ると、布を一巻き甚八の顔に巻いた。
途端、視界は青藍に沈む。
明度の低い彩は闇にも似て
けれど、不思議と織り目を透かして外が見え、全てを覆う訳ではない。

「これなら大夫光を遮断出来ますし、甚八君なら布越しでも見えるでしょう?」
「うん…もっと、色も形も見えないから、暗い所は。これ位で充分」

六郎を振り返り

「ちゃんと見える、先生の顔も」
ありがとう、ございます。
「ふふ。それなら良かった」

満足気に微笑む顔もまた、青藍に染まる。

「でも、これじゃなくなる、先生の布」
不便じゃない?
「私は大丈夫ですよ、これと同じ布がまだありますから」

言い、どこから取り出したのか、甚八を包む同じ青藍が六郎の手に。
それを見て甚八は安心すると、スルリと布を六郎から取り、

「今度は結ぶ、俺が」


それは自然に出た言葉。
自分を気遣い、自分と向かい合ってくれる相手の心に対する―――


「ええ、お願いします」

それを理解してかどうか、先程とは逆に六郎が背を向ける。
甚八は長く艶やかな黒髪におそるおそる触れ、慣れない手つきで布を結んだ。

「有り難う御座います」

結び目に触れて、六郎は楽しげに笑う。

「ふふ…」
「どうしたの?」
「いえ、こうすると甚八君とお揃いだな、と」
「!!」

またも言葉の爆弾を、何気なく向けられて甚八は慌てた。
この年齢不詳の長老は、常に戸惑う事を口にする。
分かっているのかいないのか
判然としないまま

「嫌ですか?」

否とは言わないと、あらかじめ分かっている確信的な問いかけ。

「ううん。……大事に、する」
「ええ、私も大事にしますよ」

そうして出来た繋がりに
一人は微笑を
一人は赤面を

湛えて互いに見合ったのだ。



その後真田屋敷で
時折甚八が普通に室内で六郎と話しているのを、佐助達は見かけるが
二人が身に付ける布が同じであると

気付いた者は、ごく僅かだとか




『織り糸の先』






あとがき

今まで最もやっちゃった感の強い十勇士内CP。68ではなくあくまでも86と言い張ります。 絵茶でごりごり描いていた絵の背景を付けたのが今回の話。
現状では甚八の片思い感が強い模様。でも、片思いでこの鬱陶しさだから、まとまると どうなるのか今から不安が…(遠い目)。恐らく十勇士内のウザップルになることは確実。 そして被害者はきっと佐助と小六の苦労人…。

ここまで読んで頂き有り難う御座いました。




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