雨にかき消えそうな声で



ザー



「鬼の旦那…」



ずぶ濡れの烏は己を迎え入れた鬼に囁く

逆立てた髪は垂れ、触れた肌は雨で冷たい



「寒いんだ…あっためてよ」


「―――ああ」



ザー



天の底が抜けたような

耳を聾するような雨の中

己の下へ飛んできた烏を、鬼は抱き取り暖めた







昔も今も先もなく

ただ降り込める雨に二人

どうか、刻を止めて







まだ薄暗さの残る障子を開ければ、雫に濡れた静の庭。

遠い海の果てに光がさす。



「もう、止んだのか……」

せめて朝まで降ってくれても良いのに



呟いて、佐助は縁に出る。奥の臥所に未だ眠る愛しい人を残して。

ふと、恨み言の後に苦笑が浮かぶ。



雨が降っていたらどうだと言う?


まだ暗いから、雨が降ってるから


そんな些細な理由をつけてずるずると、元親と朝寝でもしたかったのだろうか。



「つくづく病んでいるね、俺様は」



己は飛び立つ烏だと言うのに

夜が明ければ住処へと、還らなければならないのに


嗚呼、それでも、それでも――だ


願うのは



バサッ

重い羽ばたきの音と共に、庭木が揺れる。塗り込めたような影が、濡れ石に降り立つ。



「シー」



艶めく嘴を広げ、一声鳴こうとする烏に、佐助は指を立てた。

従順な黒い鳥は主の意志に従い、嘴を閉ざす。


低く、囁くように



「頼むよ、墨染。今だけは……どうか鳴かないでくれ」



烏の声は朝を招く、刻を告げる

眠る愛しい人の目を覚ましてしまうから

別れの刻だと告げてしまうから


今はどうか、静かに 静かに



「じゃないと、お前の首を絞めてしまうよ」



益無きことと知りながら

それでも願う



刻よ止まれと






昔も今も先もなく


降り込める雨に世界を閉ざし


この箱庭の内に二人、いつまでも在れたらと


そのためなら、この世/三千世界の烏全てを括り殺して見せよう

雨すらも降らせて見せよう



そんな、切なる病んだ願いであった






「朝から随分、物騒なこと言ってるな」


「―――…旦那」

起こしちゃった?


「いいや…。大事にしてやれ、お前の相棒だろ」


「うん…」



頷く佐助の傍ら、夜着に一枚羽織った元親が立つ。

顕わになった二色の瞳で、夜明け前の庭を眺めれば



「何だ、もう雨止んじまったのか」

降ってりゃあれこれ理由つけて、お前と朝寝が出来たのにな



佐助と同じ事を口にする。

それが可笑しくて、嬉しくて、そしてどうしようもなく悲しくて、佐助は淡く笑む。



「殿様が寝坊なんて、していいの?」


「いいんだよ、俺は」

第一、お前は朝帰るのが早すぎる


「―――………」



心と裏腹な言葉で誤魔化そうとすれば、手痛い指摘に暴かれる。



「ごめんね、でも俺は…」

アンタの忍じゃないから

帰らなくちゃいけないんだよ



そう告げようとする言葉は、不意に重ねられた元親の口に飲み込まれた。


触れて離れる。ただ、それだけの後に

耳元を掠めるように



「つまんねぇ事、言うんじゃねぇ」



ファサッ



言葉と共に、元親が羽織っていた小袖が佐助の肩に掛けられた。


雨に煙る紫陽花の彩に染めた―――


じんわりと持ち主の体温が伝わる。



「雨が止んでも、まだ寒いだろ?」


「これを……?」


「貸すから着てけ。またお前が『寒い』って言っても、俺はあっためてやれねぇんだからよ」

いいか?「貸した」んだから返しに来いよ



わざと素っ気ない声に、佐助は元親の想いを知る


互いに想いは変わらない。



「うん…『次』に来た時、ちゃんと返すよ」


「おう、待ってるからな」



出来ればこのまま刻を止めて、二人共にいられればと願う


けれど、そんな夢物語、叶うはずもなく


ただ出来ることは



「じゃあ、俺行くから」



肩に掛けた小袖を佐助は頭から覆うように被く。


生きて再び見えることを願うだけ



「『また』ね、鬼の旦那」



声と共に煙る紫の小袖が掻き消えた。飛び石に控えた墨染の姿も。



「ああ、『また』な」



逃げ水のように消えた相手へ、元親は静かに呟く。


雨後の澄み切った空気に、どこかで、烏の声が届く。

その声に導かれるように、外海の果てから朝日が昇った。





雨は上がり 鳥が鳴く

朝は来る 刻は止まらない



留まることが叶わぬなら


どうか流れの果てに再び巡り会うことを









三千世界の鴉を殺し
  主と朝寝がしてみたい
















後書き

お題2つ目チカサスです。やはり「鴉」はこの二人で(笑)。
自分たちの立場の違いは承知しているけど、ふと、常に共にはいられない現実に寂しくなる。 理不尽だけど、時を告げると言う烏に当たりたくなるような、そんなアンニュイ目指して 見事失敗orz 何とも中途半端な雰囲気の代物です。雰囲気ではなく、しっかりストーリーを 立てようと言う事です;;
都々逸の解説では、「三千世界」は全世界の意味で使われていましたが、此処では現在過去 未来という解釈を使いました。元ネタは遊女と客の遣り取りだそうで。婀娜やあざとさも 書いてみたいものです。

ここまで読んで頂き、有り難う御座いました。




back  main  Top