玄関で案内を請うと、珍しく此処の城代が佐助を迎えた。


「今日は門から来られましたか、猿飛殿」

「今日はお館様からのお使いだからね、吉良の旦那」


奔放な兄を持つ気苦労のせいか、吉良親貞の言葉は本人が無意識であっても耳に痛い。

何時も夜中、門を通らずに城主のもとへ忍んでくる佐助は、緩く苦笑を刻んだ。


「浦戸で七の旦那から、鬼の旦那がこっち/岡豊に来てるって聞いたんだけど…」


兄の名が出ると途端、親貞は渋面を作り、


「申し訳ない…兄上は今出ておられる」

「え、こっちも空振り?あちゃ〜」

浦戸から岡豊までかなり飛んできたんだけど

「恐らく、夕刻までには戻られると思うが…何分自由なご気性故」


暫く中で待っていて貰えないかと、兄城主の政務を一挙に引き受けている苦労人の弟城代は 生真面目に詫びた。

その気苦労には、同じく人使いの荒い主を持つ佐助自身酷く共感する為、内心同情しつつ


「鬼の旦那らしいねー。まあ、急ぎの用じゃないから、お言葉に甘えて待たせて貰うよ」


一足飛びに玄関を上がる。

ひとまず同盟相手の使者を帰さずに済んだことを親貞は安堵し、廊下を先に歩き出した。






親貞に先導され表書院を抜ける途中、ふと佐助は思い立ち、


「待たせて貰うなら、弥九の若様の見舞いでもしていいかい?」


目で奥の方を示して言う。


「ああ、構わない。親益も寝込んで暇だろうから」

「そう言えば、若様元服したんだよねぇ。良かった良かった」

「…感謝している、『薬師』殿」

「別に俺は何もしてないよ。若様…旦那がここまで来れてるのは、旦那自身の力だよ」

後はアンタ達兄弟の献身。

「献身…そうだな、兄上は何時も我らの為に…」


何処か遠くを思うような深い眼差しで、親貞は静かに呟く。

それを佐助は聞いてか否か、ああそうだと言葉を繋ぎ、


「弥九の旦那が暇だって言うなら、久しぶりに墨染を見せてみるか」


言ってすぐさま手を叩く。



パン パン



高い音が中庭に面した廊下に響くと、木立が震えて緑の中から黒い影が膨らんだ。

それは鋭く滑空し、瞬間視界を覆う黒を広げて佐助の肩にしっかと留まる。


夜を塗り込めたように、或いは徳深い僧の衣のように

それは真黒の烏であった。


「前より、言うことを聞くようになったようだな」

「…一応俺もコイツも成長してるの」


無意識の親貞の棘ある言葉に、佐助は再び苦笑がこみ上げる。

あの頃よりずっと、自分も烏も変わった



手の鳴る方へ 手の鳴る方へ



何処にいようと、飛び行く場所は分かっていた。












「そうか…変わりがないなら何よりだ」


小さな庵に元親の声が満ちる。

そこに在るのは、安堵と労り

平素の磊落さとは異なる細やかな気遣いが感じられた。


「お陰様で…尼も子らも、変わらず日々の勤めに励んでいます」


元親の向かいには、細身の尼僧が一人。

白い面差しと、海を秘めた瞳が、どこか二人とも似通っていた。

外見の柔らかな印象とは異なる、凛とした声が問いかける。


「殿の方も恙なく?」

「ああ、俺はこの通りだ。貞も変わらず仕事が速くて口うるさいし、七は無駄に騒がしいし、弥九は… まあ、元気に病人やってる。みんな何とか生きている」

「そう…良かった」


答に尼は静かに微笑む。

深い、深い情在る笑みであった。


それを元親はどこか遣りきれない顔で見つめる。

そのように、今も微笑んでくれるからこそ



「なあ…本当に城へ戻ってはくれないのか?」

「もう、何度も申し上げました。尼には今の殿のお心遣いだけで充分と」

この庵が尼の終の棲家なのです


「でも、今のままじゃ一人になるだろ?若も姫も…何時かは手放す時が来る。 城にいれば少なくとも俺達がいるじゃねぇか」


尼は緩くこうべを振るう。その微笑みは変わらない。否、更に慈悲深く、塵土を遠く離れる仏の笑みへと昇華していた。


「これが、尼に出来る御家への功徳です。一つは背の君と我が子らの御家、一つは殿と同胞/はらからの御家」


恩愛も恨みも受け入れ脱ぎ捨てた、人の形がそこにあった。


その強さに、元親は息を飲む。

血の濃さを、繋がりを感じずにはいられなかったから。


「それに殿、尼は一人で在るとは思っていませぬ」

「―――?」


すると、今までとは異なる、人の温かみを備えた微笑へと尼は白い面を塗り替えて


「共に暮らすことは出来なくとも、共に生きることが出来るなら、この乱世ではどれだけ幸せか…。 そう思えば、侘びしさも寂しさも何もありませぬ」


幼子に語って聞かせるように、穏やかに尼は言葉を紡いだ。


「何も…変わらないんだな、姉上」


懐かしさと憧憬を込めた声で、元親はそう返した。

姉の心を確かめると、これ以上言葉は無用だった。


常のカラリとした挙措でもって立ち上がる。


「また来る」


尼もまた無言で典雅な礼を返し、入り口へと弟を送り出す。

互いに己の生きる道を決め、相手の道を認めた姉弟の姿であった。


元親が庵を出る間際


「殿」

「ん?」


呼び声に答えて元親が振り返れば、自分と良く似た海の瞳がまっすぐに見つめている。


「私への償いで生きるより、お前と共に生きてくれる者を大切になさい…弥三郎」

「―――…」


弟が姉の言葉を解するより前に、尼はもう一度咲い


「どうか、幸せに」


深く頭を下げた。





小さな庵を出ると、簡素な、けれど手入れの行き届いた垣根の下に幼い童女が鳥と戯れていた。

子供の細い腕に止まるのは、五色を宿した玉を思わせる、極彩色の物言う鳥。

しきりに羽根を羽ばたかせ、『ヒメ、ヒメ』とけたたましく鳴く。それを童女が面白そうに見つめている。


少しの申し訳なさを感じながら、元親は童女に近寄った。


「悪いな姫、もうコイツは帰らないと」

「あ、叔父上!」


声に慌てて童女が振り返ると、肩で切りそろえた銀の髪がフワリと跳ねる。途端、かしましい鸚鵡はぱっと羽根を開き、童女の手から飛び立った。

そして近くの木の枝に留まり、『ヒメ』と一つ鳴いた。

鳥が離れてしまうと、姫は元親の方に向き直り、繋がりを思わせる海の瞳を大きく見開いて愛らしい声でねだった。


「叔父上、姫も瑪瑙の様な鳥が欲しいですっ」

「そうか…姫は鸚鵡が好きか?」

「はい、大好き。玉の様に綺麗ですもの」


無邪気に答える姪の姿に、元親はどこか遠くたゆたうものを胸に感じた。

何かを懐かしむような、そんな感情。


そうして


「瑪瑙っ、帰るぞ」


パン パン


木の上にいた鸚鵡は手の鳴る方へと下りてくる。

己の住処である元親の肩に留まると、今度は「モトチカ」と鳴いた。



その様を無心に見ている姫の頭を軽く撫でて


「今度、南蛮から仕入れてやる」

「本当!?」

「ああ、約束だ。ただし、大切にしろよ」

「はい、大切にします」

「鳥は長く生きるからな…大切に付き合えよ。コイツだって、俺がお前の年ぐらいに お前の母様から貰ったんだからな」

「母様から?」

「ああ、名前を付けて餌をやって、言葉を教えた。今じゃ俺の良き相棒だ」


己も鸚鵡も、少しずつ変わっていった。



手の鳴る方へ 手の鳴る方へ



どんなに離れていようと、求める者は変わらずに。








手の鳴るほうへ









あとがき

始まりました。チカサス捏造過去連載。
書こう書こうと何時までも思っているだけでは始まらないので、思い切って始めました。
けれど、サイト同様見切り発車感満載な代物なのは間違いなく。ちゃんと破綻なく終えられるか甚だ不明 ですが、お付き合い頂けたら幸いです。

今回は序章にあたる現在の話から。
長曾我部兄弟全員出したかったのですが、構成力のなさに代表2名と相成りましたorz。 佐助もチカも兄弟達を勝手な呼び名で呼んでいるため分かりづらいと思いますが、一応「七」は 香曾我部親泰、「弥九」は島弥九郎親益となっております。尼の姉上は…上の方とだけ言っておきます。 呼称とかは追々本編で説明出来たらと。
まだ伏線を張っただけの状態ですので、内容が分かりづらくて申し訳なく…。一応、回収していく はずなので、気長にお付き合い下さい。

ここまで読んで頂き、有り難う御座いました。



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