不意に、腕に伝わる力が失せる。


風切る翼の羽ばたきが遠のくと、やはり夜飛ぶには早すぎたかと後悔した。


だが今、それを悔やんでも意味がない。



この身を包む浮遊感


そして次の瞬間




悔いよりも反省よりも速く速く







夜の底へと落下していった。























迫る山の樹木

闇より暗い














山城の瓦

重く、堅固に















かがり火

人の存在




















何だ、目的地に辿り着いていたのか


それなのに、情けない―――











自嘲の笑みを最後に、意識は闇へと堕ちた。











































膝にふわりと淡い光が落ちる。

障子を開けると、庭を隔てた塀の縁より満ちかけの月が登っていた。


風が雲を流したのだろう。望月を待つ姿に遮るものはない。


光につられ、縁側に出る。

暫く座して見上げていると

不意に、弦の下方に影が湧いた。


雲にしては闇が濃く、動きもどこか不安定で


それが「鳥」かと首を傾げた瞬間、影は力を失ったように真っ逆さまに月下へ堕ちて行った。



「―――っ」



影が落ちたのは、この「奥」の外れ。

ここからさして離れていない。




頭の隅では目測し、身体は既に縁側を出て廊を駆け出していた。






白い夜着が翻り、月光を受けて呆と光る



羽ばたく様な動きだった


けれど、鳥は夜飛ばない


あれは梟ではない


もっと大きな


烏?


夜よりも猶、暗い翼


ならば尚更飛ぶはずはなく、不思議がつのる


それに


見間違いでなければ―――


それは、行ってみないと分からなかった



心は先へ

けれど、音が響かぬように慎重に


途中で廊を下りて素足のまま土の上を走る


ひんやりと石の感触が伝わる


中庭を抜けて蔵を回れば「奥」の外れ




目的の場所へ辿り着いた。




狭い「奥」ではあるが、ここまでの距離を走るだけで既に息が上がっている。

平素、走ることはおろか、まともに外に出ていない為。


では何故今、息を切らせてここまで走って来たかと言えば



「人………?」



山に抱かれたこの城の境には、木立が緩やかに入り込んでいる。

その淡い境の木の下に、人が一人倒れていた。



「やっぱり…」



「鳥」と思った影が堕ちていく瞬間、「人」の形を為していた。

それがどうしても信じられず、時刻も習慣も忘れて飛び出したのだ。


息を整えると、おそるおそる木の下へ歩み寄る。人影は動く気配がない。

近付くにつれ、闇に紛れた「人」の形がはっきりと見えてくる。

同時に、何か黒いものがあちこちに散らばっているのが目に付いた。


人影は思ったより小さく、華奢な姿をしていて



「童?」



すぐ傍らに立って覗き込めば、闇を透かして幼い顔がそこにあった。



その事実に驚きは無い。

それ以上に、側で見た童の姿に息を飲む。

もし本当に堕ちて来たのがこの童なら



「兄上?」



不意に、後ろの闇から呼び声が届く。思わぬ事に全身が震え、息が止まった。



「千扇…?驚かさないで」



「驚いたのは千扇の方です。こんな刻限に、こんな所で何を?」

千扇は兄上が出て行かれるのを見て、追いかけて来たのです。


言い足し、蔵の陰から弟の千扇丸が姿を現した。

兄の元、木の下へ近付くと、彼も童の存在に気が付く。そして、その姿にも



「兄上、その者は………?」



鳥のように逆立てた、赤味を帯びた髪

木の葉を集めて織り上げたような、見慣れぬ衣服

そして、小柄なその身を包む


漆黒の 羽根 羽根


寝物語に語られる姿に違わない





先程の光景が本当ならば



「うん、天狗の仔だよ、千扇」



弓張り月の弦から、天狗の童が堕ちて来た



「天狗の仔を拾ったよ」










































最初に感じたのは暖かさ

ひどく柔らかく、温かなものに包まれている。護られている。


そこから生じた安心感。

「自我」と言うものを得てから、初めて感じる温もりであった。



それ故、己はとおに死んだのだと自覚した。



苦界の憂世を遠く離れ、十万億土の果てにあるという彼岸に渡ったと



だが、その認識に恐れもなければ嘆きもない



漸く解放されたのだと、そう安堵するような…





不意に、瞼の裏に光が差す。

光に誘われ、浮上する意識。



この身は滅びたはずなのに、覚醒する。

身体に、感覚が甦る。

ああ、まだ自分は生きている。




彼岸は遠く、解放は果たせず




重く閉ざした瞼が震え、「視界」が開ける。

遠くで、近くで、人の声が聞こえてきた。



「私が傷付いた者を手当するのはいつもの事でしょう?」


「獣や鳥とは違うのですよ、兄上」



幼い童の声、二つ。



「そうだね、この子は天狗の仔だから、犬や鳥の仔とは違うよね……あ、目が覚めた?!」



窘める声に構わず一方の声が弾み、一人の顔が近付く。


まだ焦点の合わない目を凝らせば



光を弾く銀の髪

白皙の面が穏やかに咲う

綻ぶ瞳は二色で


一は蒼

一は黄金




藤色の小袖を纏い、童女の姿で




遠い浄土の白い観音菩薩が坐した























後書き

今回からは本編です。設定としてはチカ14才、佐助13才辺りの子供。
えらく中途半端な所で区切ってしまいました。そして、予定より大幅にスロー展開で;;
場面場面を考えるのは好きなのですが、それを繋げて一つの話にするのは別の事だと今回気付きました(遅い)。
取り敢えず、お互いの第一印象と言うことで。佐助のチカへの印象は夢見すぎだと、書いてる本人が自覚してます。 鬼の逆を取った事が原因です。最近仏教ずいてるのはきっと読んでる本のせい。

千扇丸は此処での親貞の幼名(そして、今更ながらこの話の彼は、サス姫のお姑さんとはまた別の方)。 自分の調べられる範囲では見つからなかったので、勝手に国親パパの幼名から持ってきました (別の字もありますが、好みでこちらに)。確か、毛利家でも就さんの幼名松寿丸は長男の隆元では なく、次男の元春に付けてたと記憶してるので、それに便乗。もし、知ってる方がいらっしゃったらこっそり教えて頂きたいです(他力本願)。

もう少しペースを上げたいなと思いつつ、次こそは二人をしゃべらせたいです。


ここまで読んで頂き、有り難う御座いました。






main  Top