「―――………」


瞬間、呼吸が止まり息を忘れる。
軽い、混乱。

何も返せずただ、己の顔を覗き込む白い面を凝視していると
童女はこくりと首を傾げた。


「やっぱり、どこか痛む?あんな高い所から落ちたんだもの。
それとも…天狗に人の言葉は通じてない?」


そうして二色の瞳が不安げに揺れる。

己が意識を回復するまでの前後関係は繋がらず、相手の言葉の意味も理解できな かったが
目の前で童女の表情が曇って行くのがいたたまれず、気付けば言葉を口にしていた。


「大丈夫…言葉、聞こえているから」


声は驚くほど掠れて弱かったが、すぐ傍らの相手には届いていたらしく
途端パァと表情が明るくなった。


「良かった…しゃべった」


心底安心したように、ほっと胸をなで下ろす。
ころりころり
酷く表情が変わりやすい人。


「ここは…?」


まだ身体に感覚が戻りきらないが、どうにか首を動かし辺りを見回す。

左に視界を転じれば、作りの良い調度とまっさらな襖。
右に視界を転じれば、障子が開かれ、縁の向こう日に輝く庭が見えた。

百姓屋などではとてもなく、童女とその横に控えた童の姿も、田畑の泥から遠い白さで あった。

明らかにここは―――


「ここは『奥』の私の部屋だよ」
「正確に言えば岡豊城の『奥』になる」


童女の言葉を受けて童が言い足す。童女より幾分幼く、目鼻立ちの作りが似通っている。 しかし、こちらは瞳の色は一対で、海を思わせる深い蒼。

意識が戻った直後の会話からすると、童は弟になるらしい。
だが、彼は童女を「兄上」と呼んでいたが………?


「天狗は昨夜、月からこの『奥』の隅の森に墜ちて気を失ってたの」
私と千扇がここまで運んで手当したんだよ
「月から墜ちて…」


言葉に記憶が繋がる。あやふやだった意識が、完全に回復する。







「俺」はあの時、墜ちたのだ。

浦戸の浜で烏が撃たれ、目的の場所まで飛んで力尽きて

なら俺は、どうにか生きて辿り着いたらしい。

ここが岡豊城の奥で、この二人がこの部屋の主だとすれば


「ねぇ、お前」


記憶を繋げ状況を理解していると、童女が再び声をかける。
思考を一度止め、二色の瞳に意識を合わす。
ふわりと、童女はやわらかく咲った。


「私は『やや』、こっちが弟の千扇丸と言うのだけど、お前の名前は?天狗」
「名前――」


咄嗟に答える事が出来ず、言葉を反芻するだけだった。
まだ確証が持てないのなら、迂闊なことは口に出来ない。


俺には名前が無いなどと


「『天狗』と………そのままお呼び下さい、やや姫様」


間を開けるのも怪しまれるため、先程からややと名乗る童女が俺を呼んでいた名を そのまま使った。
そして、居住まいを正し言葉を改める。
姿やここにいることからして、二人は城主の子供等、つまり姫君と若君であったから。


「そう、素のまま天狗なの。お山の『院』には貴い御名があるけれど、お前のように 幼い者にはまだ名前がないのかしら」


ある意味真実に近いことを、首を傾げてややは言う。それにひやりとさせられ、 俺は答に戸惑った。

ややはどうしてか、俺を翼あるモノ/天狗と思いこんでいるらしい。
烏で城に侵入り損ねたのを見られたのなら、無理もない。
その方が好都合であるが…

そっと目を動かせば、傍らの千扇丸は息を詰めて俺を見ている。
その隙のない空気が、俺に答を窮させた。
ややの言うようには誤魔化せない。

俺の緊張が伝わったのか、千扇丸は何気ない風で


「では何故、その天狗が……」


探りを入れる問いを口にしかけると


「姫様、若様―――」


縁から女の声が届く。
正直それに助けられた。


「吉田殿が参られました」
「―――っ、周頼か………会いたくないと言っても、無理に来るのでしょう? 『義叔父上』は。通して」


訪なう者の名を聞くと、瞬間ややの白い面が強ばる。
声も、先程の朗らかさとはほど遠い、険あるものとなっていた。

取り次ぎの侍女が下がるのと入れ違いに、入り口に人の気配を感じた。
鼻を掠めたのは抹香の匂い。

坊主かと見当をつけた瞬間、視界に墨染の僧衣が横切った。


「ここにおられたか『薬師』殿」


口上も断りも無しに、僧衣の上から聞こえる声は部屋の主にでは なく、俺に向けられた。
瞬間、これが「迎え」であると察した。そして、ここでの自分の「表向き」の立場も。

それに合わせるため、ゆっくりと身を起こす。身体はあちこち軋むが、幸い骨は折れて いない。
位置が変わった視野に、有髪僧が静かに俺を見下ろしていた。


「探しましたぞ」
「申し訳御座いません。『奥』の森で薬草を探していたましたら足を滑らせ墜ちたようで。
気を失っていた所を姫様方に助けて頂きました」


これはややと千扇丸、そして縁に控えている侍女への建前。本人/俺達からすれば、茶番 以外の何物でもない……

僧は俺の言葉に一つ頷くと、この部屋に入って初めてややに向き直る。
慇懃無礼な程に僧衣を払って居住まいを正し、丁重に一礼。


「『若君』方、こちらは遠国の薬師殿で殿の大切な客人です。お助け頂き有り難う御座い ます。ですが…」


淡々と告げられる声は、どこまでも静かで


「客人とは言え、見知らぬ者を無断で座敷に入れる事はお控えを。
どうかご自分のお立場を今一度ご自覚願いたい」


念を押すように


「『若君』」


それがややの神経に障るのだと、伝わって来た。


「お前に言われなくとも、分かっている!」


不機嫌さを隠すことなく、ややは僧から顔を背ける。膝においた白い手が、小袖を掴み 細かく震えていた。
千扇丸は口を開かず傍らで控えている。この状況に慣れているのか、俺のように不信も 居心地の悪さも見せず、ただ、強ばったややの顔を気遣わしげに見つめていた。


「是非ともそうあって欲しいものです」


皮肉か希望か、判然としない言葉を返して僧は立ち上がり、目で俺を促した。


「参られよ、薬師殿」
「――っ、何で天狗を連れて行くの!?」
「先程も申しましたように、この者は殿の客人。朝から殿がお呼びなのですが、姿が 見えずご不快に」
「私のせいだと言いたいの?」
「いいえ、決して」
「―――!!」


更に重苦しくなる場の空気に耐えかねた俺は、咄嗟にややの袖を引き、


「元々は俺の不注意からです。姫様は何も悪くない」
「天狗…」


不意に緩んだ空気に後押しされて、言葉を重ねる。


「また後で参ります。まだ助けて頂いたお礼をしてませんから」
「………」


数瞬、ややは俺の目を見つめた。二色の瞳が、奥の奥まで覗き込むような強い力で。
俺は静かにその目に対す。そこに浮かんだのは、何者かへの怒り、反発そして

拭いようのない不安、であった。

それはどこかこの姫の脆さに見えて
焦燥を――急き立てられるものを胸の奥に感じた。


今まで知らない感覚であった。


「…なら、良い」

納得したのかややは目を伏せ、僧へとぞんざいに告げた。
それだけ聞くと、僧は今までの遣り取りを意に介さず「御免」と一言部屋を出る。 俺はややと千扇丸にそれぞれ一礼して、その後を追った。

二色の残像がちらついたまま。







「流石に人に取り入るのが早いな。こちらを待たせて既にここまで入り込むとは…」
「姫様が俺を見つけたのは偶然だ…。それに、遅れたのはアンタ達が悪い」
「ほう?我等が」


ややの部屋から離れた廊。
更に奥へと向かう途中。

先程までの取り澄ました言葉も表情も全て払い、互いに棘ある言葉を連ねた。


「アンタ達がさっさと浦戸を取ってれば、上陸/あがるのに苦労しなかったんだ。お陰で 烏が本山の兵に撃たれた」
「それは気の毒に」


全く感情のこもらない声が返される。
少しだけ、ややがこの男との対話に苛立つ気持が理解出来た。


「だが、敵陣に侵入るのもお前達素波の生業であろう?撃ち落とされたはお前の未熟さ 故だ」
「………ごもっとも、だ」


これだから坊主は始末に悪い。
弁が立つので、下手な皮肉だと倍返しにされてしまう。

渡殿を抜けると目的の部屋が見えてきた。
城の中心。城主の居室。
どうやら「殿がお呼び」と言うのは本当だったらしい。

それなら、この後の事を考え、俺は確認を口にした。


「で…やっぱりあの方なのか?」
「お前の不審は分かるが、その通りだ」


部屋の手前、廊にて控える小姓が一人。
来意を伝えてから、相手は俺の言葉に肯う。

それまで感情を伺わせなかった面に、微かに浮かんだ色は


苛立ち


取り次ぎの小姓から、城主の答/いらえが伝えられる。
接見に対して居住まいを正しながら


「お前を拾って下さったあの『姫』が、この岡豊城城主、長曾我部国親様が嫡男 、弥三郎様」

「姫若子」とも呼ばれるあの方が

「お前が仕える主だ」


城主国親の謀臣、吉田周頼はそう告げた。
















後書き

ようやく2話目です…。本当は前回の話と次のを合わせて1話になるハズだったのにorz  余計な事を書きすぎているようです;;
今回出てきた佐助とチカの名前は勿論捏造で。「やや」は弥三郎の「弥」からと言う 安直な名付けです;;もう一つ意味があるのですが、それは追々本編で出せたらと( 何時になるのやら)。
どんどんモ武とも言えない捏造キャラが増えていくこのシリーズ、次は国親パパが 出てくるかと思われます。

ここまで読んで下さり、有り難う御座いました。


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