総じて己が外道に堕ちてでも戦おうとしたのはこのためであり

百年以上も続いた戦乱が己が生きている内に終わるなど

僥倖であり幸いである

はずなのに、何故か―――


己の両の掌を開いて見る

血の色も臭いも深く染みたそこは


悲しいほどに

虚しいほどに


空であった








 充足の糧








空が高い。

まだらな鰯雲を背景に、赤蜻蛉が高く飛ぶ。

縁側に寝転がり、佐助は見るともなしにそれらを数えていた。


「一、二、三」


遠くで小気味良い歌が聞こえる。

女達の声。

恐らく、刈った稲を引く労働歌だろう

どこか調子外れで、底抜けに明るい。


「四、五」


きっと今年は豊作だろう。

来年も、その次も。


「六、七、八、九」


日照りも寒さもあるだろう

けれど


「十」


何より戦が終わったのだから


「十い…」


聞くともなしに歌を聞き、数えるともなしに蜻蛉を数えている内に、いつしか 意識はまどろみ


「じゅう…」


聞くことも数えることにも飽きて目を伏せた。

涼を含んだ風が肌を撫でる。

その風が、匂いを運んだ。

この山国には珍しい、遠い遠い海/潮の匂い。

それだけで相手は分かった。


―――懐かしいな…


諸国を駆け回っていた頃が

ほんの半年前までのことだったのに。


苦笑が零れて目を開けると、予想通り片目の鬼が佐助の顔を覗き込んでいた。

庭から回ってきたため、上下逆転した顔は呆れていて


「何してんだ、佐助?」

「布団干して寝っ転がって蜻蛉数えてたら、眠くなって昼寝しようとしてた。
いらっしゃい、鬼の旦那」


「暇そうだな…」


と、元親は一言。嘆息と共に。

佐助は勢いを付けて起きあがり、反対に元親は佐助の傍ら縁側に腰を下ろした。


「真田の旦那なら、今はお館様の所」

「いや、お前に会いに来た」

「わざわざここ/甲斐まで?嬉しいねぇ」

「その割にゃ元気がねぇな」

「鬼の旦那は……」

「ん?」

「鬼の旦那は暇なの?わざわざ俺に会いに来てくれるくらい」

「皮肉か?」

「いいや、純粋に」


そう返されると、元親は首の後ろを掻く。

どこかばつが悪そうに


「まあ、国のことは前と変わらず貞がやってるし、やることがあると言えば あるが…」

確かに、前に比べて暇になった。

「戦もなくなったしね」

「ああ、わざわざ人の庭にケンカを売りに来る馬鹿もいなくなった」


半年前までの戦が嘘のように

百年以上も繰り返された混乱が嘘のように


乱世は止んだ。


何のカタルシス/崩壊も、クライマックス/終末もなく

そこに残ったのは、確かな平穏と


「まだ慣れないね、『平和』って奴に」


何かを酷く持て余している自分。


「調子が狂う」

「いいじゃねぇか。少なくともお前は、もう人殺さずに済むんだからよ」

「―――………」


こう来るかと、佐助は瞠目する。

そして、緩やかに微笑を浮かべる。

常に戦いを、乱闘を好むと嘯くが

どうしてどうして、酷くこの鬼は優しい。


「つくづく、旦那には敵わないよ」


外道である己にまで


「旦那が言うように、暇なんだ。暇で暇でどうしようもない。
折角戦が終わって落ち着いたって言うのに」


そうしたら、逆に途方に暮れた


「佐助…」


手を、佐助は開く。

己の両の掌を。


「それで、この期に及んで気が付いた。俺には何もなかったってね」


内にあるのは虚ろ

その虚ろを、元親は無言で見つめる。


「潰し/殺し位しか生き方は知らないし、『自分』って言うものは真田の旦那に全部 捧げた」


高い空を

赤蜻蛉を


「それでも、旦那は俺なんかのもんじゃないから…」


女達の歌を


「こんなこと/平和になったら、俺は空っぽになった」


風を

匂いを

全て包んでしまえるほど、空に虚ろに


その空虚さに

ほんの少しだけ哀しみが滲んだ。


ふと、


「そんなの、満たせばいいじゃねぇか」

「え?」


空の手が、満たされる。

掌には、皮を丸めた筒状のものが。


「空っぽなら、何か別のものを探して見つけて、手に入れればいい。
転がり込むまで待つんじゃねぇ」

「探すって言ったって…」


何を何処から


「例えば、お宝なんてどうだ?」


言い、筒が解かれる。皮が滑り、一枚の紙となる。

そこにインクで記されているのは


「世界だ」


短く、決然と告げられた。

元親は、地図の右端にある小さな島を指す。


「ここが、俺達が命がけで取り合ってた『天下』だ。随分小せぇだろ?」

「これが…」


話には聞いていたが、何と小さく―――


「それに対して、外/世界はこれだけ広いんだ。こん中からお宝を探す。
一生かかったって暇にはならねぇ」


そうだろ?と尋ねる顔には、無邪気な童のように無心な笑みがあった。

羨ましいほどに

魅せられるほどに

真っ直ぐに、元親は夢/野望を語る

そして


「だからお前も一緒に来いよ、佐助」


簡単にそれを、自分に差し伸ばす


「俺も?」

「そのために、迎えに来たんだ。俺とお前がつるめば、絶対楽しくなるに決まってる」

「つるむって…俺は真田の旦那の忍で」

「それが役目果たして暇なんだろうが。だったら、さっさと辞めてとっとと俺の 所に再就職しろ」

損はさせねぇぜ


不敵に、己の言葉まで取られてしまった。


「―――」


思わぬ言葉に、佐助がどう返せばいいかと戸惑っていると

元親は更に笑みを深め


「取り敢えず、つるむんだったら、手付け金はこれでどうだ?」


地図が払われ、空いた手に温もりが落ちる。

空虚を包む掌


「旦那?」

「まずは俺をくれてやる。そしたら俺はお前のものになるし、同時にお前は俺のもの になる。
これでお前は一つ手に入れて所有されて、空じゃなくなった」


満たす言葉


「………全く、アンタって人は―――」


転がり込むまで待つなと言っておきながら

既に、この手を充分満たしてくれているではないか。


一番欲していたもの/存在を

容易く与えてくれているではないか


「本当、敵わないな」


呆れと充足と愛しさが、溢れるほどに胸を占める。

知らず、微笑を浮かべれば

答は一つ―――


「……俺様は安くないからね、ちゃんと責任持って外つ国でも宝島にでも 連れてってよ」


手の中にある唯一を、静かに握り返した。


「ああ、お前が行きたい所なら」

契約成立だな


告げて、どちらともなく唇を重ねた。

これから遠く共に旅する伴侶に約して。





その日、躑躅が崎の館で鬼が兵を蹴散らし烏を拐かしたと言う騒ぎが起きたが

誰も恨む者はなく、烏の主は笑って二人を見送った。

拐かした鬼も

拐かされた烏も


共に望んだ旅立ちであったから










後書き

1000hitフリー小説アンケート第2位よりチカサスです。
実際に書いたのは今回ですが、ネタ的にはBASARAで一番最初に浮かんだチカサスでした。 形は色々変えてますが、最終的に迎える二人の結末はチカに拉致られ、あれよあれよと 夫婦海賊に…を理想としてます(え?)。 長く暖めていたネタなので、日の目を見れて満足です。
この後、出航したは良いが、チカが海図読めない事を始めて知って、早速 早まったかと後悔する佐助がいますが、それは別の話と言うことで…

ここまで読んで頂き有り難う御座いました。




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