「お見苦しい所を見せたのは謝ります。でもいい加減、泣きやんで下さい」

姫を狙った刺客を俺が切り伏せると、彼の人はぽろぽろと涙を流した。
返り血を見たのが衝撃だったのだろう。戦を厭いてこの箱庭に隠れているのだから。
だが、二色/ふたいろの瞳に透明な涙を浮かべながら、彼の人は頭を振る。

「違う。血が怖いんじゃなくて、天狗が…危ない目にあうのが嫌」

その言葉が俺には酷く不思議でならなかった。
どうしてこの姫君は、忍の身など案ずるのだろう。理解出来なかった。
それなのに、どこか胸が温かいのは何故だろうか。



「俺が言うのもなんだけどよ、…あんまり無茶するんじゃねぇぞ。お前は自分の事、あまり省みないからな」

任務に赴く前に土佐へ寄ると、そんな事を鬼はため息と共に告げた。

数年後、姫は、姿が変わって言葉が変わり、血を見ても泣かない鬼になった。
けど、俺なんかの事を心配する所は変わらない。
それが俺には変わらず不思議であるのだが、同時に胸が温かくなる。
その温かさが何であるかは、離れていた時間の内に朧気に理解してきている。

どうやら俺もまた、何も知らないガキの頃と変わってないようだ。




『変わらぬもの』







戦人とは、こんな形で世の中を変えていくものか。

「旦那、お湯涌いたよ。茶碗貸して」
「ああ、頼む」

木をくりぬいただけの簡素な茶碗を受け取り、そこに携帯用の味噌玉を入れて湯を注ぐ。
まだ薄暗い早朝の空気に、味噌のかおりが漂う。

「はい、熱いから気を付けてよ」
「うむ」

言葉少なに旦那は答えると、湯気の登る茶碗を片手に握り飯を食べ始める。
何口か食べては味噌汁で流し込むのを繰り返した。

戦の前の旦那は嵐の前の海の様に静かだ。
内に力と狂気を蓄え、爆発するのを待っている。
普段もこれくらい静かだったら、俺も少しは楽なんだけどね。
…いや、これはこれで疲れるか。
四六時中殺気を放たれては身が持たない。

「やはりお館様はすごいな」

ぽつりと旦那が呟く。

「戦場で、このように味噌汁が飲めるとは思わなんだ。しかも、これがあるだけで兵の士気が違う」

乾燥させた味噌玉を各兵に持たせることを考えついたのは、ウチの大将が初めてだ。
旦那が言うとおり、冷たい握り飯だけより熱が通った味噌汁を飲むだけで、兵の士気が変わってくる。
特に、火があまり使えないこんな時/朝駆けの前は。
かく言う俺も、結構「これ」の世話になってる。

何というか俺は、戦と日常生活に区切りがないせいか、戦場に日常の延長がないとどうも調子が出ない。
目の前に立つ敵を殺すことと、旦那とこうやって味噌汁を飲むことは同じ次元の話で、
戦にしろ日常にしろどちらかが突出していると均衡が崩れる。

何の?って、俺の精神の。

血に染まりすぎれば外道に堕ち
平穏に狎れすぎれば刃が鈍る

だから、これくらいがちょうどいい。
刀を伏せ、息を殺し、殺気と狂気を内に秘めた開戦前の戦場で、同じく殺気を孕んだ旦那と朝飯を食ってるくらいが。
なんとも俺らしくあった。

大将もそうなのかね。
あの人の家は、親子で血なまぐさいことやってるから、俺と同じように日常と戦場が同居しているのかしれない(それはそれで気の毒ではあるけど)。
だから、戦人と言うのは、勝つためにこんなもの/食い物にまで知恵を巡らせるのかと少しだけ呆れる。
そう考えれば、今ある世の中のものはだいたいこの乱世から生まれたものなのだが。 メシも武器も国も、それを支える商売も交通も。
全部全部、「そこ」から出来てる。
まさに、戦の世だ。
その最たる者が、俺のような人間/忍なのだろう。

俺は人を欺き殺すために特化した存在
味噌玉は兵の士気を上げるために作られたもの

どちらも戦のための道具

だからこんなに親近感感じちゃうのかもね。


そんなことをぼんやりと考えながら、俺は冷たい握り飯を、自分の仲間である味噌汁で流し込んでいると、合図の法螺貝がなる。
もう、そんな時間か。

「行くぞ佐助!一番駆けだ!!」
「はいはい、付いて行きますよ旦那」

槍を構え、旦那は駆け出す。その表情は満面の笑み。
ああ、赤い鬼が笑う。

一気に味噌汁を飲み干して、急いで旦那の後を追う。
山の端に微かな光。
日が昇る。


さあ、仕事だ。




『戦場の烏』夜明け前








「好きだ」と口にすることは
気恥ずかしいと言うか何というか
およそ、自分が持ち合わせていない言葉で

けれど、どうしても気持を伝えなければならない時や
伝えたい時もあるもので

だから、ね


「ねぇ、元親」
「ん?何だ佐す…」

「俺、アンタのこと嫌いだよ」

「―――………」
「嫌い、大嫌い。誰よりも……どうしようもなく
嫌いだよ」

途切れることなく一気に捲し立てた
呆然とした元親の顔

ごめんね、俺は不器用だから

「―――………本気で言ってるのか、佐助?」

クスクスクス

「?」
「『嘘』」

こんな形でしか想いを伝えられない

「嘘……」
「元親、今日は何の日?」
「今日って」

何が何だか分からない
そんな顔で、記憶を巡らせている

そして、

「ああ、何だ…」

俺の言葉/想いが届く

「『馬鹿』、驚かせるなよ」

心臓が止まりそうだった

「だって、今日は嘘を吐いていい日だよ」

こんな俺には最良な

「そっか…なら」

ニヤリと笑って

「俺もお前のこと、大嫌いだ。死ぬほど、な」
「そう」

クスクスと俺も笑い返す

「勿論『嘘』だ」

「嫌い」が嘘なら
では真は?

「うん、知ってる」

そうしてお互い、笑いながらキスをした。


「好きだ」なんて言葉、俺には持ち合わせが無くて
「嫌いだ」なんて言う、酷い言葉しか出てこない

だから、こんな時しか言えない


なんて臆病で、天の邪鬼な自分




『四月馬鹿』








西の流刑の島に在る 此の 枝/え は如何なる花が咲く

此は姫の芽 夜叉の蕾

右に花守 左に烏

愛でて守られ花が咲く

其の 彩/いろ  其の艶如何なるものか

一は焔に 一は海

姫に育つか 夜叉御前生むか

二色/ふたいろ 抱く其の枝は

西の流刑の島に在る 岡豊の城の奥深く

箱庭内に在ると言う




『二輪花の木』








「天狗、そこ?」

「あっ…姫さま、今はちょっと」

「………っ」


地べたに転がる鼠の死骸。
それを啄む黒い烏。

晒された腸が、二色の瞳に映される。


「御覧にならない方がいい。…ご不快でしょう?」


見る間に白皙の面が青ざめていく。

彼の人は血に弱い。

否、血に慣れた者などいるはずがない。


俺のような外道の身、以外は。


しかし彼の人は、心持ち強い声でまっすぐと


「ううん。これは『当たり前』の事でしょう?」

墨染だって、お腹が空くのだし

「いきなりだったから、少し驚いただけ。

…そうだね、『当たり前』の事だけど、『それ』には可哀想なことだから」


そう言って姫はたおやかな手を合わせ、静かに小さき命を弔った。


その行為を


軟弱と誹る者も

慈悲深いと嘆じる者もいるだろう


けれど俺には、弱さや穏やかさよりも

他者を殺める事の事実を受け入れる、真摯な強さを感じた。



そう遠くない未来、この箱庭は終わりを迎える。

姫若子は元服し、長曾我部の嫡子として戦場に立つ。

その時彼の人は

血に臆することなく

人を殺める事実に狂わず

受け入れた上でそして、手を合わせるだろう。


己が殺めた者達へと―――



それは違わない予感

だから


「姫さま…」

「何?天狗」

「―――………いいえ、つまらぬ戯れ言です」

「?」


何時か戦場で敵として見えた時は

俺が貴方によって倒れたその時は



どうかどうか

涙を流すことなく

一度だけ手を合わせてくれないかと



そう、願うのだった。




『願わくば』








「上杉の死にたがりの女じゃないけれど、俺は旦那の所有物で武器だ。しかも、とびっきりのね

武器は巧く使ってこそだし、そうするのもまた『もののふ』の器量ってもんだよ」

「俺は、佐助が俺のものだと思っておらぬ」

「―――………」

「確かにお前は俺の忍で―――もしかしたら、兄上の忍かもしれぬが」

「旦那…っ」

「しかし、誰に仕えていようとも、佐助は佐助自信のものだ。佐助にしか、己の命は使えぬよ」


向けられる目には、俺を気遣う労りの色が見えて、

あたら命を捨てるなと

そう伝えようとしている主の心は痛いほど分かる。


何てまっすぐな目

何て残酷な言葉



忍とは、何も持たない者。

己の命ですら、他者/主の意志/命でしか全うすることができない

主がいなければ

戦うことも

息をすることも

生きることも

死ぬことも出来ない


惨めで哀れで矮小な存在。



誰のものでも無いなどと

そんな言葉は忍の意義を否定し、殺すだけの言葉。



「その言葉、俺たち/忍にはキツイな、旦那」



崩れ落ちそうな理性を保ちながら、必死に俺は唇を歪めて笑って見せた。



俺は一体どこに還れるのだろう

最期は誰の下で息絶えるのか


この、残酷なまでに真理を見抜く今主か

俺を捨てた、今は遠いヒトデナシの旧主か

優しすぎる鬼なのか


それとも、誰に顧みられることなく、己だけで死んで逝くのか………



答のない問いに、眩暈を覚えた。




『眩暈』







後書き


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